スタッフ紹介
院長あいさつ
お口のお悩みを抱えて毎日を過ごすストレスと、
それに費やす時間は計り知れません。
そのお悩みの解決は、ぜひ当院におまかせください。
入れ歯で同じ悩みを持っている方のお役に立てれば
このホームページをご覧になっている皆様のなかには、歯を失っておいしく食事を召し上がれない方、ご家族やご友人との会話に不自由されている方が多いのではないでしょうか。そして、ほとんどの方が、「自分が入れ歯であることを知られたくない」「誰にも相談できない」と思われているはずです。
この入れ歯専門サイトが、さまざまなお悩みを持つ方にとって少しでもお役に立てますと光栄です。
入れ歯なの? インプラントなの?
最近は、入れ歯とインプラントのどちらにするかを悩んで受診される方が多くなりました。たしかにインプラントが良い治療であることを理解していても、年齢、体力、長年の持病やアレルギー体質などで手術が受けられなかったり、恐怖心から手術をためらわれている方が多いのも事実です。
当院で入れ歯相談を希望される患者様には、無理なインプラント治療を避け、入れ歯治療の目線でアドバイスをお伝えしています。
私は、大学生時代から父の影響を受け、ドイツ式入れ歯治療の知識の習得と臨床を積み重ねてまいりました。同時に大学病院の口腔外科医として数々の手術も経験しています。
その経験をいかし、現在の臨床では入れ歯とインプラントをうまく使い分けています。明らかにインプラントが良い場合には、私と専門医が密に連携を取ってサポートいたします。
30代で入れ歯?
最近では、20代で発症した歯周病が30代で重症化し、やむを得ず歯を抜いて入れ歯を作る、という患者様が多く来院されます。インプラントとは異なり、条件が合えば歯周病の歯も残して入れ歯に使えますので、「入れ歯はまだ早い」と思わず、もう一度お口の健康について見直しをしていただきたいと思います。
もっと早く相談すればよかった!!
お口のお悩みを抱えて毎日を過ごすストレスと、それに費やす時間は計り知れません。当院で治療を受けられた患者様のなかには、「もっと早く相談すればよかった!!」と言われる方も多くいらっしゃいます。
少しだけ勇気を出して当院へお越しいただき、周りの方には相談できなかった入れ歯の悩みを打ち明けてください。きっと、新しい道が開けるはずです。
最後に
日本人は世界一の長寿国です。しかし、平均寿命と健康寿命には差があります。
歯科医院に通う体力と気力がある間にしっかりとした入れ歯治療を受けるのが、健康寿命を伸ばす秘訣です。
新しい入れ歯を作ったことで得られる貴重な時間は、食事会や旅行に出かけるなど、どうぞご家族やご友人と楽しむためにお使いください。また、長年の趣味をさらに充実させることもできるのではないでしょうか。
皆様のご来院を、心よりお待ちしています。
院長紹介
「健康寿命に寄与する歯科医療の実践」を診療のモットーに
院長・博士(歯学) 稲葉 智弘
Tomohiro INABA, D.D.S.,Ph.D.
1974年12月17日生まれ 東京都文京区出身
略 歴
- 1999年
日本歯科大学歯学部 卒業
- 2000年
歯科医師臨床研修 修了
- 2004年
日本歯科大学大学院歯学研究科臨床系口腔外科学 修了 歯学博士授与
日本歯科大学歯学部薬理学講座 助手 - 2005年
日本歯科大学附属病院口腔外科 臨床助手
- 2006年
国家公務員共済組合連合会横浜南共済病院歯科口腔外科 医長
- 2007年
日本歯科大学附属病院口腔外科 助教
顎変形症診療センター 医員 - 2011年
日本歯科大学附属病院口腔外科 退職(3月末)
日本歯科大学附属病院口腔外科 臨床講師
10月より稲葉歯科医院 院長就任 - 2016年
日本歯科大学生命歯学部薬理学講座 非常勤講師
- 2018年
日本歯科大学生命歯学部口腔外科学講座 非常勤講師
- 2022年
日本歯科大学附属病院口腔外科 臨床講師(再任)
現在に至る
- 学会活動
日本口腔外科学会 会員/日本美容外科学会(JSAS) 正会員/国際口腔インプラント学会 会員/日本睡眠歯科学会 会員/日本顎咬合学会 会員/日本口腔インプラント学会 会員/日本メタルフリー歯科臨床学会 評議員/日本顎咬合学会 咬み合わせ認定医
- 社会活動
在日フランス商工会議所 正会員/在日フランス大使館 録歯科医院/日本口腔外科学会 認定 口腔癌検診協力医
- 教育
日本歯科大学附属病院口腔外科 臨床講師(2011年〜2017年、2022年~現在)
日本歯科大学生命歯学部薬理学講座 非常勤講師(2016年〜現在)
IPSG包括歯科医療研究会 理事代表
日本嚥下機能訓練協会 理事
日本歯科大学校友会本部 学術委員 - 得意分野
ドイツ式入れ歯治療、口腔外科全般
- 特技
空手(剛柔流初段)、スノーボード
- 趣味
フェンシング(エペ「NEXUSフェンシングクラブ」所属)、山歩き、きのこ狩り(「魚沼きのこの会」所属)、ワイン
院長の生い立ちを語る
幼少期
幼少のころ、父の海外留学にともない西ドイツ南部の大学都市チュービンゲンで1年半過ごす。現地幼稚園に通園する。
ドイツ語は忘れてしまったが、医療先進国ドイツの考えに共感できるのは、このころの影響があるのかもしれない。ドイツ人は「高いけれど長く使えるもの」を好んで購入するという。私も、普段買い物するときは、「機能性」、「耐久性」「自分の体にとってやさしいか」を常に考えてしまう。現在、診療用にメガネを4本持っているが、すべてドイツ製である(MIKITA、ic!berlinなど)。
中学時代
文京区小石川の区立小学校を卒業後、千葉県木更津市の全寮制中学校に入学する(中高6年一貫)。
入学して最初の1ヵ月はホームシックになり、夜、布団の中で半べそをかいていたが、寮生活をすることで早く親離れできた。部活は中学1年生から空手部(剛柔流空手道)に所属し、初段まで取得する。
勉強は生物と地理が好きだった。なぜか「プレートテクトニクス」(地球の岩盤に関する学説)について興味を持ち、勉強したことを覚えている。
また、「将来絶対に英語を話せるようになりたい」と願っていたため、中学3年生でアメリカの高校への留学を決意する。そして高校生の2年間、アメリカ東部バージニア州に留学・ホームステイし、現地で過ごす。
アメリカ高校留学時代
1年目は、人口6,000人ほどの田舎町(バージニア州ベッドフォード)の現地高校に通った。当時、インターネットや携帯電話はなく、日本とのやり取りは主に手紙だった。
ホストファーザーが獣医だったので、仕事に同行して牛のお産の手伝いをしたこともあった。生命の誕生をこれほど実感できたことはなかった。また、負傷した野生のフクロウを手当した際に、爪で引っ掻かれて自然の厳しさを少し感じたこともあった。日本にいたときはペットのオカメインコの世話くらいしかしたことがなかったが、ステイ先で足の悪い子牛(アンガス牛)を引き取って毎日世話をすることになったのは、いまでは良い経験になったと思う。
英語漬けの日々を過ごし、日本語を話さない時期もあった。留学後半年ほど経過して、寝ているときの夢が英語に変わってきたのが忘れられない。
高校の授業で運転免許教習があり、16歳で運転免許を取得することができた。車を得たことでさらに行動範囲が広がった。
2年目は同じくバージニア州東海岸のアメリカ海軍拠点基地があるノーフォークの隣町(バージニア州バージニアビーチ)にステイすることになった。中学1年生から始めたスケートボードのお陰で、近所にスケボー仲間ができた。
この2年間のアメリカ留学経験が、現在の稲葉歯科医院を受診される多くの外国人患者様の治療に役立っていることは間違いない。
高校3年生で帰国後、寮生活をしながら1年間受験勉強に集中し、歯科大学に合格する。
歯科大学時代
歯科大学1・2年生のころはあまり勉強に目覚めていなかった。アルバイトで、南青山のビジネスホテルのフロント係をしていた。このホテルは外国人旅行者の利用が多く、英語が話せるアルバイトを探していたからだ。当時のアルバイトは、すべて英語が得意な学生を揃えていた。毎週英語を話す機会を得たので、長く続けることができた。結局、このアルバイトは大学6年生の国家試験直前まで続けていた。この接客業の経験は、現在の歯科医院業務にたいへん役立っている。
大学3年生のころに歯科の勉強に目覚めた。そして、補綴専門医(入れ歯、クラウン、ブリッジの専門家)である父のもとでドイツ式入れ歯治療、上下顎同時印象法による総入れ歯、咬合理論(噛み合わせ治療)、顎関節症などを学び始める。噛み合わせ治療が歯医者にとって非常に重要な位置を占めていて、他科の医者にはできない分野であることも学んだ。
大学4年生のころ、口腔外科で顎変形症治療の講義を受けた。通常の歯列矯正とは違い、手術をともなう治療法である。「外科手術で噛み合わせを治すなんてすごい!!」と感銘を受け、たいへん興味を持った。手術について学ぶ前に、まず矯正歯科の勉強をしなければならないと思っていた。
大学5年生のときに、妻の矯正歯科主治医(専門医)のもと、歯列矯正治療を学ぶ機会を得て、その思いは実現した。矯正歯科を学べるなんて、本当にラッキーだった。
当時、師匠の長女で同級生のMさんと彼氏のS君が、同じく矯正歯科の勉強を教わっていた。2人はかなり勉強が進んでいたので、早く追いつこうと思い、師匠から出される多くの宿題をこなすのに必死になった。病院実習の休憩時も、歯を動かすために必要なワイヤー曲げを、親指と人差し指の先にタコができるほど練習した。与えられた宿題は必ず終わらせて質問をまとめる。それをもとに師匠が矯正歯科の基本を厳しく伝授してくださった。
師匠のアシスタントを任された際、勉強不足から不用意な質問をしてしまい、「そういう質問をするということは、まだ矯正をわかっていないということだ!!」とその場でしかられ、冷汗をかいたこともあった。
月2回、師匠のご実家にお世話になり、週末は泊まり込みで矯正歯科について学んだ。ある日、師匠から末期がんで余命3ヵ月と伝えられた。普段あまり泣かない性格だが、師匠が部屋を去ったあと、このときばかりは堪えられなくなり号泣してしまった。最後の弟子として、亡くなる直前まで親身になって矯正歯科を伝授していただいたことは一生の感謝である。約3年間通った当時の資料は、いまでも大切に保管してある。たまに思い出して読み返し、初心に戻ることができる。
大学6年生は、国家試験勉強の日々であった。進路についても考え始めており、すでに補綴の師匠と矯正の師匠がいたので、欲張りであるが口腔外科をやろうと決意した。
臨床研修医時代
歯科医師免許を取得し、臨床研修医は母校の口腔外科と高齢者歯科を選択した。4ヵ月間院外研修制度があり、都内の審美歯科医院で研修を受けた。研修医なのでもちろんやることはなかったが、当時最先端だったホワイトニングシステムや有名芸能人の審美歯科治療を拝見できた。人生で初めての親知らず抜歯も、この歯科医院で行った。
大学院時代
研修修了後、口腔外科大学院へ進学する。大学院1年目は、附属病院で口腔外科臨床漬けの日々を過ごした。一般歯科はほとんどせず、親知らずの抜歯がうまくなるよう没頭した。診療終了後は、ほぼ毎日当直医のあとを追って、入院患者様の点滴を担当させていただいた。当時の大学院生としては珍しく、病棟診療チームに配属された。
大学院2年生から、口腔外科教授のすすめで薬理学講座に出向した。当時、薬理学講座は大学内で最も厳しい講座として有名だった。主任教授は日本における細胞培養の第一人者で、発がんのメカニズムや性ホルモンの専門家である。
大学院2年生の4月に、教授からHela細胞というヒト子宮頸がん由来の株化細胞を分けていただいた。教室員の実験のアシスタントや、英文抄読会の準備をしながら、Hela細胞の継代培養を約10ヵ月間ひたすら繰り返した。それにより、フラスコの数が増えてもコンタミネーション(汚染)させずに継代培養したり、一定の細胞数をシャーレに播いたり、安定した細胞増殖曲線を描けるようになった。
何事もそうであるが、まずは自分の体を動かして作業することの大切さを実感した。有名スポーツメーカーのスローガンである「Just Do It」(「とにかくやってみよう」)という言葉を、教授が大学院生に対してよくおっしゃっていたが、それが理解できるようになった。
その後、大学院の研究テーマとして、歯髄細胞と性ホルモン受容体の関係について取り上げることになった。簡単に言うと、歯の再生医療の研究である。実験の合間に病院へ出向き、口腔外科の患者様から抜去歯をいただいた。その歯から歯髄を取り出して粉々にし、細胞を取り出し初代培養する。これを繰り返しながら、エストロゲンやアンドロゲンを作用させる研究に没頭した。ある程度実験データが揃ったところで、日本歯科基礎医学会や日本口腔組織培養学会で発表する機会を与えていただいた。
教授と当時のNCI(National Cancer Institute:アメリカ国立癌研究所)所長は長年の大親友である。大学4年生のとき、所長が薬理学講座に訪問され、私の研究を発表することになった。アメリカの最高研究機関のトップに、自分の研究を発表できたことは一生の宝物である。
医局員時代
大学院卒業後は附属病院に戻り、再び口腔外科臨床に集中した。翌年、総合病院に出向する機会を得た。そこでは歯科病院とは違う医科病院の口腔外科、麻酔科で研鑽を積むことができた。
出向後、学生時代からの目標であった顎変形症診療センターに配属された。そこで顎変形症手術をはじめとする多くの口腔外科治療を経験できた。
病院勤務時代に習得した口腔外科と、学生時代から学んできた補綴や歯列矯正が融合し、現在の臨床に至っている。また、入れ歯でお悩みの患者様に、これまでの経験を生かして補綴前口腔外科手術や補綴前歯列矯正治療を行い、より快適な入れ歯治療をご提供できるよう、日々臨床に励んでいる。
稲葉歯科医院院長として
2007年に日本歯科大学を退職した父(現当院顧問、稲葉 繁)が院長となり、新宿区山吹町に稲葉歯科医院を開業した。2011年に医院承継し、英語が通じる歯科医院として口コミが広がったことから、主にフランス人コミュニティーから支持されるようになった。
フランス以外にも、ドイツ、スイス、スペイン、イタリア、ベルギー、チェコ、イギリス、スウェーデン、フィンランド、カナダ、アメリカ、チュニジア、モロッコ、ドバイ、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシアなど世界中から訪れる外国人駐在員とそのご家族が利用されている。
2~3年の任期を終えて日本を離れたあとも、日本に出張する機会があれば当院でメンテナンスを希望される患者様もおられる。和の心を大切にしながら、日本の歯科医療の枠に留まらず、ヨーロッパ先進国の歯科医療水準を意識して診療に励む毎日である。
著書・出版物のご案内
1枚の写真ではじまる12人の義歯臨床
歯科専門のデンタルダイヤモンド社より、当院顧問の総義歯(総入れ歯)に関する本が出版されました。全国で著名な総義歯臨床家12人の中に、当院顧問の稲葉 繁が選ばれました。
2010年2月発刊
予防補綴のすすめ 〜シニア世代の健康を支える歯科医療〜
患者様との生涯にわたるお付き合いを基本に、しかるべき時期に生涯維持を見通した質の高い補綴治療介入を行い、口腔内の環境を整えること、これをメンテナンスによって生涯にわたり維持すること、そして、介護支援が必要になったときに適切な支援の手を差し伸べることを、これからの高齢者歯科医療の姿として具体的に提案していきます。
日本歯科評論/増刷 2004
編著/稲葉 繁(日本歯科大学教授)・申 基吉(明海大学教授)
ストレスフリーの歯科医院づくり
患者様にとって歯科医院はストレスだらけです。治療にともなう痛みや感染に対する不安などストレスのもとを払拭し、できる限り安心して治療が受けられる環境づくりをすることが大切です。一方、保険による制限のため、患者様が満足できる治療が受けられず、医療者もまた最善の医療を行えないという、双方にストレスのかかる状況が続いています。このような歯科医療の現状を、患者様に理解いただくことも大切でしょう。
本書は、このような歯科医院におけるさまざまなストレスを分析し、これを解消して患者様・スタッフ・歯科医師が満足できる診療環境を実現できるよう、あるべき姿を事例とともに示したものです。
これからの時代を生き残るためには、快適な診療環境と質の高い歯科医療の提供がポイントです。21世紀型の歯科診療や医院経営のあり方を模索している方、現状打破を目指している方におすすめします。
日本歯科評論(Dental Review)/増刷 2002
編著/稲葉 繁(日本歯科大学教授)
歯界波
毎年1月に開催されるコサカ学術研修会という開業医向けの講演会で、院長が講義しました。その内容が掲載されています。
デンタルダイヤモンド社/1998年
歯科医師の皆様からのご意見
日本歯科評論の特集「総義歯難症例への対応」を読まれた全国の歯科医師の皆様から、ご意見をいただきました。
稲葉先生は、上下顎同時印象・咬合採得法を基本にした斬新な技法を紹介されていました。
口腔周囲の機能障害をきたしていると考えられる症例に積極的に対応される姿勢には、敬意を表さずにいられません。誌面からも、各種の機能障害を持つ方への対処の経験が豊富であることをうかがわせる記述が随所に見られました。
※日本歯科評論(Dental Review)9月号に掲載された内容を転載
稲葉先生は、上下顎同時印象を取り入れた義歯作製のシステムを、そのシステムをオーラルディスキネジア・顎関節症・麻痺を持つ総義歯患者に応用した症例について紹介されています。
論文の最後にあるとおり、在宅訪問診療などでも応用したいシステムです。
※日本歯科評論(Dental Review)8月号に掲載された内容を転載
母校の稲葉先生には、当地の歯科医師会が主催した誤嚥性肺炎の予防ともなる要介護高齢者の口腔ケア(口腔清掃+口腔リハ)に関する講演会の講師をご紹介いただいたご縁があります。
今回の稲葉論文「オーラルディスキネジア・顎関節症・麻痺への対応」では、パーキンソン病に対する抗精神薬の副作用によるオーラルディスキネジアや顎関節症、そして脳血管障害の後遺症としての片麻痺への対応に最終印象で上下顎同時印象を行うという、興味深い新システムのご紹介がなされました。
※日本歯科評論(Dental Review)8月号に掲載された内容を転載
スタッフ紹介
歯科医師・歯学博士 望月 真衣 MAI MOCHIZUKI D.D.S. [土曜日勤務]
初めて出会った歯科医師は、当院顧問の稲葉 繁先生です。歯科大学3年生のときに、繁先生のお誘いを受けて稲葉歯科医院(末広町)でアルバイトを始めました。そこで、「テレスコープシステム」をはじめとする最良の歯科治療を間近で学ぶことができました。繁先生が代表を務める「IPSG包括歯科医療研究会」にも積極的に参加してまいりました。
繁先生のご指導により歯科医師としての基礎を築き、研修医時代には多くの指導医のもと治療の幅を広げることができたと思います。
私は、患者様のお口の中の健康管理をさせていただくことで、いつも不安なくおいしくお食事を召し上がっていただき、またご自身でお手入れしやすい環境をご一緒に実現することを目標にしています。
そのうえで、当院を訪れる患者様と十分なコミュニケーションをとってお互いに信頼関係を築き、当院が考える最良の入れ歯治療をご提供できればと考えています。
略歴
- 2005年
日本歯科大学歯学部 卒業
- 2007年
明海大学PDI埼玉歯科診療所歯科臨床研修医 修了
埼玉県熊谷市 おざわ歯科医院 勤務 - 2009年
稲葉歯科医院 勤務
- 2011年
稲葉歯科医院 副院長就任
- 2014年
日本歯科大学生命歯学部大学院歯学研究科入学
- 2018年
日本歯科大学院 歯学研究科 卒業 歯学博士授与
日本歯科大学生命歯学部発生・再生医科学講座 助教 - 2022年
日本歯科大学生命歯学部発生・再生医科学講座 准教授
現在に至る
- 所属学会
IPSG包括歯科医療研究会会員/日本ティップエッジ矯正研究会会員/日本顎咬合学会認定医
事務長 稲葉 朋美 TOMOMI INABA
幼稚園教諭免許取得後、10年以上幼児教育に携わっていました。
受付と事務を担当し、稲葉歯科医院が円滑に運営されるよう努めています。
顧問 稲葉 繁 SHIGERU INABA D.D.S.,Ph.D.
日本における「テレスコープシステム」のパイオニア
入れ歯先進国ドイツの「リーゲルテレスコープ」を初めて日本に紹介し、これまでに1,000症例以上の治療を行いました。日本顎咬合学会では、難症例にも対応できる「上下顎同時印象法」による総入れ歯の作製方法を紹介しています。
また、「IPSG包括歯科医療研究会」代表を務めるなど、常に最善の歯科治療を研究、提供し続けています。
略歴
- 1964年
日本歯科大学 卒業
- 1968年
日本歯科大学大学院修了(歯科補綴学)歯学博士授与
日本歯科大学歯科補綴学教室 助手 - 1969年
日本歯科大学歯科補綴学教室 講師
- 1972年
日本歯科大学歯科補綴学教室 助教授
- 1978年
西ドイツ チュービンゲン大学歯学部歯科補綴学教室 留学
E.Koerber教授の下で客員教授を務める - 1999年
日本歯科大学歯学部高齢者歯科学 教授
日本歯科大学附属病院高齢者歯科診療科 科長(日本初の高齢者歯科)
日本歯科大学歯学部補綴学第3講座 教授 - 2002年
日本歯科大学附属病院総合診療科1 教授
- 2005年
日本歯科大学歯学部 退職
IPSG包括歯科医療研究会 代表 - 2007年
稲葉歯科医院(山吹町)院長就任
- 2011年
稲葉歯科医院(山吹町)顧問就任
現在に至る
- 現在までの
学会活動日本老年歯科医学会 名誉会員/日本老年学会 理事/日本慢性疼痛学会 理事/日本歯科医療管理学会 理事/日本有病者歯科医療学会 評議員/日本顎咬合学会 評議員(継続中)/世界老年学会 評議員/日本補綴歯科学会 評議員/日本歯科医学教育学会 評議員
- 社会活動
日本トゥースフレンドリー協会 理事/IPSG包括歯科医療研究会 代表/日本古生物学会会員/魚沼きのこの会会員
その他、歯科衛生士1名、歯科助手3名が在籍しています。